Web屋パパの日々の泡

子育て、ウェブ、サッカー、キャンプ、とりあえず身の回りのいろんなことを自分のログとして書き記していくブログです。

3月11日に思うこと 2016

「支援」だとか「支える」といった言葉を張りつけた瞬間に、僕たちの行動は「特別なもの」になってしまう

知り合いがシェアしてた臨時災害FM局が5年経って閉鎖するという話。素敵な文章だったな、腑に落ちる。

▼よい文章だったのでぜひ。
ゆっくり歩いて行こうと思っていた(浅生鴨)|ポリタス 3.11から5年――それでも



震災から5年、阪神大震災からは21年。時間はどんどん流れていくし、当時3歳と0歳だった子供らはもう8歳と5歳。幸いにして大きな事故も病気もなく今日も元気に学校や幼稚園に向かっていく。

関西から家族で遊びに行くには東北は少しハードルが高くて、そんなもんどないにでもして訪れる事は不可能ではないんだけどそれでもやはり単純に遠い。震災のときにたくさん支援してくれた台湾に遊びに行こうと言われてもそれもさすがになかなか叶わない。日常生活は毎日続いていく。


東北に行くことや支援することはやっぱりなんか特別なことというイメージがあって、そうじゃなくてもっと普通に関わっていきたいなと思うけど何が正しいのかはよくわからない。ドキュメンタリーで流れるような復興の現状や福一で作業される方の話を見て先は長いなーと思ったりもする。

災害は各地で起こるし、テロや痛ましい事件はどこかで起こっている。悲しいことだけれど。


だからなんというか、やっぱり「やりたいこと」を一生懸命やって、精一杯生きて、それを次の世代につないでいくとかたくさん仕事して税金納めて消費してお金を回していくしかないなと思いながら5年間やってきた。
税金の使い道や政府のあれこれや、腹立たしいこともあるけれど、遠く離れた町でサラリーマンしてる僕に出来ることは限られてる。やれることをやれる範囲でやっていくのはこれからも変わりない。


今、いろいろ周りの人の縁があって個人的に「おもろい事」と思えるプロジェクトが動いている。それが復興支援になるわけでもエポックメイキングに時代を変えていくわけでもない。でも、自分が人を巻き込んだり巻き込まれたりしてアクション起こしていく事は自分にとってとても有意義な事だ。やりたい事をやるしかない。

5年経って仕事も変わって立場も変わって、できる事ややらなきゃいけない事も少しずつ変わって来た。そりゃそうだ。僕ももう直ぐ40になる。やれやれ。


自分はこうして生きていて、両親もまだ健在で子供も2人とも元気だ。奥様は花粉症や偏頭痛に悩まされながらも元気。特にこれからも何も変わらないし機会があれば東北にも行きたい。ずっと行きたいと思ってるけどね。まずは出来るところから、自分が楽しいと思える範囲で、特別な事じゃなくて長くずっとできる事をやっていきたいな。

亡くなられた方のご冥福を。生きている我々の幸福を。今日も頑張っていきましょう。