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Web屋パパの日々の泡

子育て、ウェブ、サッカー、キャンプ、とりあえず身の回りのいろんなことを自分のログとして書き記していくブログです。

季刊25時 vol.7 僕たちの大好きな伊丹十三

奥様が買ってたのを借りて読んでみた。伊丹十三特集のミニ冊子。知らずに読んでみたら松尾貴史なんかが編集やってんのね。福島の出版元。へえ、また他のも気になる。

季刊25時 Vol.7 (ぼくたちの大好きな伊丹十三))

季刊25時 Vol.7 (ぼくたちの大好きな伊丹十三))


伊丹十三、映画よりもエッセイが好きだ。映画も好きだけど。この冊子にも出てくるけど、父親の本棚の中においてあった「ヨーロッパ退屈日記」を勝手に読んだのが始まりで、他にも多分何冊か読んだな。読みやすい文体、筋の通った考え方、そしてなんというかとにかくかっこいいおじさんなのである。

「おじさん」というのは文中でも引用されていたけどとてもいいポジションだな。

少年は当然親の押し付けてくる価値観や物の考え方に閉じ込められている。(中略)
そんなところに、ある日ふらっとやってきて、親の価値観に風穴を開けてくれる存在、それがおじさんなんですね。「男なら泣くな」なんて親ならいうところを「人間誰だって悲しい時には泣くんだ。悲しけりゃ泣いてもいいんだよ」みたいな(以下略

ああ、わかるなあ。おばさんの世話焼きとはまた違う距離感なんだよなあ。僕の場合は血の繋がったおじさんがいなくて(父も母も男兄弟がいない)、親族の集まりでもなんとなく外様感出してて飄々としてるおじさんばかりなんだよね。

伊丹十三がまさにそのポジションだという話で、「お葬式」の山崎努なんかがその感じなんだよねえ。葬式で集まった親戚のおじさんが線香消すだけで子供らがわっと群がってる様とかね。


映画も、エンターテインメントと社会的なのとコメディがちゃんと配分されてて、そんな監督って今なかなかいないよねという話を奥様としていた。是枝裕和三谷幸喜大根仁、やっぱりどこかにちょっと寄っちゃうんだよなあ。

中高生の頃から映画見て好きだった人が、あとから文章読んだり市川崑の映画に出てるの見たりしてなんかいいなあと思ったりしてね。白洲次郎がもっと現実的になって今生きてたらこんな感じだったんだろうか。なんてね。


酒や料理や身につけるもの、1つ1つの捉え方や考え方が「かっこいい」のである。いいな。エッセイ、どこにやったかな。多分父親の本棚からくすねてそのままだった気がするけど(ごめんよ

エッセイって、小説や映画が面白いこととは全く関係ない感じがあるよね。池波正太郎の料理の話は面白いし、村上春樹のエッセイも全般好きだな。伊坂幸太郎のやつは借りて読んでみたけどそんなに楽しめなくて、村上龍も説教臭くなるから苦手。なんだろうね、読んでみて面白いかどうかみたいのと、「この人のこともっと知りたい」と思うかどうかってことかなあ。伊坂幸太郎は小説楽しいからそれでいいよと思っちゃう。



しかしあれね、読書は本を連れてくるから1度読みだすとどんどん読みたい本が出てくるのね。一時期本当に本を読まない時があったけど、その時は何を読んだらいいか全くわからなかったもんね。もっとKindleで気軽に読めたらいいんだろうけどね。読書体験は何が正しいかよくわからんね。Kindle買って使うのかと言われるとよくわかんないしなあ。まあその話はまた考える。

伊丹十三記念館も行ってみたいです。愛媛、近いようでなかなか遠いな。