Web屋パパの日々の泡

子育て、ウェブ、サッカー、キャンプ、とりあえず身の回りのいろんなことを自分のログとして書き記していくブログです。

杉本博司「ロスト・ヒューマン」

東京出張のついでに、友人がよかったと言ってた杉本博司の展示に行ってきた。東京写真美術館、閉館してたのがこの9月から再開したらしい。アプローチでいきなりキャパとドアノーの写真がドンと置いてあっていきなりたまらん感じ。隣には植田正治も同じサイズで置いてた。

https://www.instagram.com/p/BKKWOPlg7xggSpYLL41a6BcSuv3gajok0iA7gc0/
ちょっとピンボケをボケさせて撮りました。



ちなみに展示の仔細な感想書くので行く予定の人はそのつもりで読んでね。



展示は3部構成。本邦初公開「今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない」と世界初発表「廃墟劇場」。もう1つの「仏の海」は(その2つで)お腹いっぱいな上に電車の時間もあったから諦めたけど後悔はない。本当にお腹いっぱい。

「今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない」というテーマで写真に限らずインスタレーションが展開する。手紙のようなモノローグがあり、それに関する展示がある。アート作品ではなく、その内容に関するオブジェが並ぶ。「世界は死んだ」と称される時に「失われた人類」が残した自筆の手紙に「今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない」と書かれている。

恥ずかしながらその展開や文章に親しみがありつつ理解が及ばなくて最後まで見終わり、別フロアの「廃墟劇場」という連作を見に行って、その説明の中にあったカミュの異邦人のフレーズを見てようやく思い出す。

今日、ママンが死んだ。もしかしたら昨日だったかもしれないがわからない。


こんなかっこいい書き出しの小説を忘れてしまったことが恥ずかしい。フランス文学ゼミ出身ですよ私。不条理と争いながら、太陽が眩しかったからと人を殺めて死刑になってしまう男ムルソー。それを下敷きにして、誰もが自分の正義を貫き、その行き着いた先に地球が死んでしまったという悲しくもシニカルなストーリー。後になってストンと腑に落ちた。そうだよ、不条理なんだよね。


例えばこう。「私は養蜂家だった。今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない」とモノローグが始まる。養蜂家が蜂を育てているとある時から蜂が帰巣本能を失ったと。甘い蜜を運んでも、結果的に人間に搾取することを長い世代にわたって遺伝子に刷り込まれ、結果的にそれに反旗を翻して世界中の蜂が死んでしまう。植物は受粉を遮られ、緑が枯れ砂漠化し、地球は死んでしまう。その最後の時に養蜂家がその様子を振り返ってしたためた手紙が、防護服やキンチョール、蜂蜜分離器とともに展示される。一事が万事この調子。


政治家、遺伝子学者、カーディーラー、美術史学者。おおよそ世界の死と関係なさそうな職業の人たちも、自分たちの正義や理想、職務ゆえに世界が死んでしまう。極論もいいところで何をしてても世界の死に結びつく。怖い。


私はウェブディレクターだった。今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない。インターネットの隆盛とドローンの進化により、人類は家から出ずに生活するようになった。やがて人類は衰退の一途を辿り世界は死を迎える。インターネットなどない方がよかったのだ。と、こんな感じ。やれやれ。


https://www.instagram.com/p/BKKg1HJgYiz0NMrZxPV4kdMgt1rc_kFAfasm7I0/
ロストヒューマン、素晴らしい展示でした。行ける方は是非。



人類の発展、女性の社会進出、全てが終末へとつながるので「そんな大げさな」ってなるんだけどなんでもとことんになるとそうなるよな、みたいな危惧もある。理想を掲げることや自由を求めることや、なんでも適度じゃないとなーみたいのことも思う。人類の歴史や発展、制限や規定がある近代。色んなことが「わかってしまう」ゆえに過去の(その時点での)神話は美しく恐ろしいものだったろうし、手付かずで未確定な未来は希望に溢れているんだろうな。


順路の最初と最後にある杉本博司の「海景」も、その人類の栄枯盛衰を経てもなおそこに静かに佇んでいるんだというつながりがあり、改めて心打たれる。なるほどなあ。壮大だ。


そして面白かったのは、展示のコアであるモノローグはすべて手書きで掲示され、文章は杉本博司が作っているけどその肉筆は別の第三者に委ねられていた。その顔ぶれが錚々たるもので、展示と文章に厚みをもたせる。「私はコメディアンだった」と極楽とんぼ加藤が書き、「私は建築家だった」と磯崎新が書く。「理想主義者」と浅田彰、「宇宙物理学者」と原研哉、「コンピューター修理会社社長」と宮島達男、「ラブドール」と束芋磯崎新はどんな気持ちで「コンクリートの建物が世界を死に至らしめた」と書いたのだろうか。恐ろしい。


展示物そのものも個々の重みが計り知れない。栗林中将司令室にあった硫黄島の地図。米軍の「Jap hunting license」。ポツダム宣言受諾を知らせた電文。トランプが表紙のタイム誌、三葉虫の化石、バイアグラMacintosh SE、月の隕石、宇宙船の便器、ノモンハン事件の従軍勲章、初音ミク太陽の塔。失われた人類の遺品を、後世の生き物が発掘して並べたような展示。恐ろしい。そして面白かった。


インスタレーションを眺めながら、疑問と驚嘆が少しずつピースを繋ぐようにカタカタほぐされながら繋がっていく。カミュの異邦人を見て改めて腑に落ちる。いやー、これは面白かった。1時間半くらいかな。かなりゆっくり見ることができて満足。あらかた書いちゃったけど、東京で機会がある人はかなりオススメです。




後、写真という表現はやっぱり好きだなーと思いました。久しぶりに白黒撮りたくなってきた。簡単な私。