Web屋パパの日々の泡

子育て、ウェブ、サッカー、キャンプ、とりあえず身の回りのいろんなことを自分のログとして書き記していくブログです。

たゆたえども沈まず

パリのノートルダム寺院が火事で大きく延焼。こればっかりはどうしょうもないよね。金閣寺も燃えたし。SNSで拡散される映像や、これまたSNSでサッカー選手のリアクションや寄付の申し出がすぐに出てくるところも時代を感じるわけだけど。

パリには何度も行ってノートルダムも何度か入ってるけど全く写真出てこなかったのであんまり関係ないサクレクールでもあげておく。

古い文化や歴史といかに向き合うかみたいなことは、フランスなんてその最たるもので彼らなりのノウハウや向き合い方が当然あるんだろうけど、かつてはエッフェル塔が、最近ではルーブルのピラミッドが新しい象徴になっていったように歴史と文化を融合させていくんだろうな。

ガラス張りのノートルダム、鉄骨やIoTやハイテクのノートルダムなんてのはなかなか想像しづらいし、他の境界ならまだしもシテ島にあるノートルダムだから「最新技術を駆使して往時の姿を見せる」というところが落とし所な気がする。中之島の公会堂みたいに。


大阪城金閣寺も、それ自体が歴史的建造物なのではなくてレプリカになってるわけだし、災害大国の日本人としては「そのもの」よりも心の拠り所となるシンボルが必要なんだろうなと思ったりもするけど。そういう意味では「国の宗教的象徴」ではあるものの、大半のカソリックの人にとっては「おらが町の教会」の方が精神的な拠り所になるんだと思う。伊勢神宮が燃えたらえらい事だけど、それより毎年お詣りに行く氏神様の方が思い入れは強いよねえみたいな。もっとも伊勢神宮なんて20年ごとに建て替えてるわけだからハードウェアとしての宗教施設という意味でもまた少し違うんだろうけど。


ちょうど最近懐古主義みたいな事について考えてて、古いものを愛でることや、ずっと長くモノを大切にすることはそれ自体良い事だと思うし、個人の記憶は何かの形をとったり香りや音に想起されたりすることが多いんだけれど、「古いものこそが美しい」みたいになってくると盲目的だなあと違和感がある。

時代は移り変わるし、新しいものを作っていったり、古いものに影響を受けてものを作るということで自分を世に問うていく人たちはたくさんいる。フランスでも、大きなゼネコンとかが再建を請け負って、熱い想いを持った若者がプロジェクトの立ち上げから人生の全てをノートルダムに捧げるみたいな話が多分出てきたりするんだろうな。
50年かかると言われてると、立ち上げの責任者は40-50代で完成の頃には生きていないだろうし、代替わりしながら25くらいの若者が全容を把握する事になるんだろうなあ。あついなあ。

魔除けのガーゴイルを修復のために外した後で火事になるというのも荒俣宏あたりが大喜びしそうでとても良い。そしてまた古からパリを見守ってきたガーゴイルが新しいノートルダム完成の暁には元どおり鎮座するわけだ。


ああ、パリ。行きたいなあ。


たゆたえども沈まず。