Web屋パパの日々の泡

子育て、ウェブ、サッカー、キャンプ、とりあえず身の回りのいろんなことを自分のログとして書き記していくブログです。

ダンス・ダンス・ダンス/村上春樹

何度目かわからないけど久しぶりに引っ張り出して読んでみた。

版を見てると2001年の文庫で大学の4年。でも多分初めて読んだのはそんなに後じゃなかった気がするので借りて読んだか買ってたかしてたやつを買い直したんだろうななんてことまでぼんやりと思い出す。18年前の本でも、もう5回は軽く読んでるだろうな。村上春樹の中でも好きな本だな。「羊をめぐる冒険」を読んだらそのままセットで読み返してるはず。

30年は言い過ぎだけど20年以上は軽く読んでて、そうなるとタイミングによって感じることやピッとするパートは違ってる。今回も3年ぶりくらいに読んだと思うけど、感じるところは違ってて、同じ本を読んでこんなふうに思うのは初めてだなあと思ったりした。


自分自身の性格というのは、なんかベースになるような幾つかの遺伝的要素や原風景や幼少体験みたいなものがあって、そこに出会った人や一期一会な経験や、喜怒哀楽や忘れたくないことや忘れてしまいたいことが色々混ざって解釈して消化して築き挙げられていくもんだろうなとぼんやり考える。

その中で改めた読み返した時に村上春樹が描きがちな「人と人とは分かり合えない」みたいなことや、「どうにもならない絶対的な力」「形容ができない不思議な感覚」みたいなことが、多分中高生の多感で世間知らずで自意識の強かった時代に刷り込まれてるなあという事を思い知らされた今回の読書体験でした。やれやれ。僕がなにをしたっていうんだ。

かっこう。


自分と他人との距離は相対的なものだったりするけど、そこに基準値として本や映画、形になって世に出てきてる創作物があるってのはやっぱり面白いな。音楽もそうか。その時々で、思いもしなかった何かが琴線にふれたり、前に聞いてた時と違うことに感化されたり目を止めたりする。



自分のことや娘のことを思っても、無邪気だった3年前の娘と、思春期の入り口で大人っぽくなってきた今の娘とでは、本を通して娘について思うこともやっぱり少し違ってる気がする。やれやれ。


オレンジ・ジュースで、サンドウィッチを流し込み、カティーサークの栓を開けてJBLのラウド・スピーカーでボーイ・ジョージのアナログ盤を聞いたりするんだ。やれやれ。


例えば伊坂幸太郎吉田修一を読み返しても、おんなじ風に感じたりするんだろうか。宗田理ならあるかもしれないな。結局のところ、10代の頃に憧れたり好きだったり、手に入れたり手に入れられなかったり、そういう青春の足跡や欠落のなかで僕らはどんどん歳を取っていくんだろうなと思うのです。


今まさにその入り口に立ってる娘がうらやましくもあり微笑ましくもある。ああ、歳とったなあ。僕は僕でまだまだ楽しいこといくらでもあるんだけどさ。



踊るんだよ、誰よりも上手なステップで。


んー、やっぱりこの本は好きだなあ。