Web屋パパの日々の泡

子育て、ウェブ、サッカー、キャンプ、とりあえず身の回りのいろんなことを自分のログとして書き記していくブログです。

Life with Virusという考え方

在宅2週間。ようやく作業環境や自分のストレスとの向き合い方のバランスが見えてきた。適度に体を動かし、自分がストレスが溜まっていることを認め、体重をそれほど気にかけずに適度な飲み食いで発散。細かく言い出すとあれだけど、とにかくストレスを溜めずにデジタルツールを使ってコミュニケーションを取るように心がける。

ちょっと違うかも知れないけれど、産後直後の奥さんが、子供かかえて外出もできないし仕事もしてなくてずっと家で子供と向かい合ってて感じるストレスみたいなものと近いんじゃないかとおもったりして。家にいることや子供と過ごすこと自体はストレスではないけれど、身体を動かさなかったり周りとのコミュニケーションが足りなかったりすることに直接の原因があって積極的に解消してくことは必要。

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「アフターコロナ」ではなく「Withコロナ」という考え方

さて、会う人会う人「また落ち着いたら〜〜しましょう」みたいなことを挨拶がわりに言っているけれど、その「落ち着いたら」というときは本当に来るんだろうか。特効薬が開発され、予防接種が行き渡り、子供の日脳炎やBCGと同様にコロナ対策の接種も今後必須になってくる。ワクチン反対過激派の人たちもコロナだけはと接種したりするようになるんだろうか。

それは、多分来月にはというレベルではないだろうし実際には来年の今くらいにとかの感じかも知れない。来年のオリンピックはどうなるかって「日本は治ったけど、他の地域からの入国は危ない」とかになるとオリンピックの根本的な立ち位置が危うい。そこまでしてやるのかってことになるよね。


いつか化学や医学がそれに対抗する策を見出すのだろうけれど、「全部これで解決して元どおり」となることはないんじゃないかとも思っていて、あったとしても「その場しのぎ」ではなく数年後にようやくみたいなことになるかもしれない。であるなら、僕らは「NO コロナ」のことを考えても仕方がなくて(希望を持つということは大切)、「アフターコロナ」は今より少し世界の様相が変わった感じになるんだろう。働き方、家族のあり方、お金の使い方、教育。前と全く同じというわけにもいかないだろうな。

衛生や、振る舞い、移動範囲、移動方法で、「コロナ(にかかわらずあらゆる感染症)に罹患するリスク」を考慮して動く必要が出てくるし、これがおわらないのだとすると「コロナウイルスがある中でも旅行したり音楽やエンターテインメントを楽しむ方法」を模索することになるんだろうな。


仕事はコミュニケーションロスが多くなって、作業のリードタイムも多くなる。ただそれが「GW明けまでの臨時対応」ではなくて「今後そういう生き方、働き方を前提として生活してく必要があるんだとおもう。オフィスの密度を減らすために週に2日は在宅、ミーティングは基本的にオンライン、情報のやり取りは基本的にデータ。もちろん全部元に戻ればいいけど、緊急事態モードを解除して、またやっぱり3ヶ月後にやりなおし、とするのは全体的にリスクが高すぎるような気がする。

感染防護服のある暮らし

ライブ、サッカー感染、通勤、旅行。それらを安全・清潔にやるには口鼻を覆うだけのマスクだけじゃなくて、完全防護が前提になって、出歩くときはみんなフルフェイスヘルメットにボディースーツを着用すればけっこうなんとかなるんじゃないだろうかと半分本気で思っている。

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国が支給するスーツはダサいので、みんながファッションブランドのスーツを買うようになったりしてね。ネタとして面白いけどSF好き的にはけっこうありなんじゃないのとおもうけどどうだろう。新築の住宅や公共施設にはエアカーテンが設けれら、クレンリネスチェックを通過した人だけがスーツを脱いで集まることができる。もちろん室内のセンサーで体温は常にチェックされているので咳や体温上昇が感知されると追放される(またはスーツ着用が必須となる)。制服スーツ、フォーマルスーツ(「君、得意先に打ち合わせいくのに政府支給スーツじゃ失礼だろ」とか言われるようになる)、軍服のスーツは生地の種類が特別なやつ、とか。リストバンドにApple Watchみたいのがついてて体温・心拍管理は行政が行い、一部の原理主義者が「国の管理のもとに生きていくつもりはない」とスーツを脱いで田舎に篭る。安っぽいSF感出てきた。


世界の仕組みが変わったこと

僕自身は、ここ2ヶ月ほどで世界の仕組みや認識が大きく変わったと思っているけど「なんてことない、またいつも通りになるよ」っていうのは違うんじゃないかなあ。現実的に「テレワークでも仕事はある程度まわる」というのは大きな発見で、今後テレワークは大きく推奨されていきそう。旅行に対する考え方も大きく変わるし、海外旅行行きたいと計画は練ってるけど隣県すらも怪しくなってくると「大阪と和歌山はウィルススコアが下がったので相互に行き来して良い」みたいな、許可制にみたいなことにもなりかねないよなと。

自宅待機になったから旅行に行ったとか、感染が少ない田舎に避難するとか、状況を見れば「そんなことありえないしそれが一番あかんやろ」と思うようなことも本人の認識でいくらでもやってる例が上がってくる。「鳥取は感染が少ないから帰っておいでと親が言う」的な。


個別の例は別としても、世界の様相は大きく変わってしまったので、それを認識して、転職でも引越しでも資産のリバランスでも、しかるべき手の打ち方をしていかないと古い時代の認識だけでどこまでしがみついていけるのだろうと不安に思ったりもする。40代はちょうど危なそうだ。自分の経験もあるし、背負っているものもある。今までの生き方をごろっと換える柔軟性と固執する部分とのバランスが正直難しいところだったりする。でも、あと20年生きていくんだと思うと新しい世界に順応した方が楽しそうだ。上の世代はもっと固執するだろうし、下の世代は初めからそんな感じだったと言わんばかりに生きていくんだと思う。

娘には、シンギュラリティが来る君の時代の生き方があるはずということを伝えていたけど、それは多分、もう始まっているんだと思う。



テレワーク税とか

出勤自粛と言われて、実際僕の職場はフロアが封鎖されて、緊急の場合や個人情報を扱うような一部の作業を除き基本的に出社禁止になった。ざっくり言って世の中の半分は緊急時には出社しなくてもなしえる仕事で、残りの半分はどうあがいても無理というものが多い。自分が2週間家にいて仕事ができるのは、スーパーやコーヒー屋の食料品店や、運送業、電気水道のインフラ、その他いろいろの方が出勤して密にならざるをえない環境の中で仕事をしてくれているから成り立っている。

そのことの感謝の念はとても強いし、エッセンシャルワーカーと言われる大勢の方達が日常の業務を回してくれている。それぞれの商売がこれからどうなっていくのかはあるけれど、リモートでも働ける環境をこれから整備していかないといけないんだろうし、医療や商店の方の少しずつ積み重なるリスクの大きさや家族の不安もあるのだろう。それは多分給料ということに反映されるべきなんだろうし、自分の仕事を卑下するつもりもないけれど、エッセンシャルワーカーの職種は一部減税して、それをテレワーク税として法人税とかで賄うなんてことはこれから行われたりするんだろうかと考えたりもする。細かいことはよくわからないけど。


自分の仕事は社会にインパクトこそなくても誰かが必要とする雪かきのような役割があると思っているけど、広告は必需品かといわれるとそうじゃないのが辛いなあ。どちらかというと消費者には嫌われて、結果が出なければ広告主にも嫌われるのだ。やれやれ。

みんなのビジネスを回していくとか困ったことを解決していくとか、マーケティングや広告にはまだまだできることはあると信じている。会社の仕事とは別に、大切な友人のためになにかできるといいのだけれど、ひとまずは積極的に消費してお金を使って、政府支給のお金があろうがなかろうが顔が見えるところや旅行に行ったことがある自治体にお金が落ちるように働きかけること。たくさん働いて給料を上げて税金を多く納めること(いやだけどさ)、そして税金の使い方を監視しておかしなものに声を上げること。市民活動、草の根活動で自分たちの町が住みやすく誇らしく、友達を呼べるに値するような町であるように動くこと。その辺の基本的な僕の考え方は東日本の震災から変わっていない。10年で給料はだいぶ増えたし納税額も増える。貯金は少ないけど経済を回したり投資してできる範囲でビジネスを支援したり。

結局、できることから少しずつやっていかないといけないな


人と会わない時代に

国と国、宗教、イデオロギー、いろんなものの対立や、解釈や主張や自己欺瞞や、いろんなものがぶつかり合ってたここ最近に、ウィルスの登場で人類が一体にというほどのことはないけど「コロナ禍を乗り越えて平穏な日々を取り返そう」という大きなコンセンサスみたいなものはできていると思う。方法や、優先順位や、大切にしたいものはそれぞれなので意見はぶつかるけれど。

ウイルスが遍く存在するこれからの時代に、人の直接の接触は減少していくのだろうから、なるべく誤解を与えたりせず、伝えたいことをはっきり伝えるようにしてコミュニケーションがより発達していけばいいのにね。