Web屋パパの日々の泡

子育て、ウェブ、サッカー、キャンプ、とりあえず身の回りのいろんなことを自分のログとして書き記していくブログです。

コミュニティに参加するという子育ての段階

周りの友達の子育ての様子をSNSで見ていて、今の小学生の我が家と乳児の頃とでは悩みの質が全く違うなあなんて事をぼんやり考える。良いとか悪いとかではなくて違うなあと。そして、同年代の人のブログなんか見てると「似てるなあ」と思う。

子供が大きくなってくると、コミュニティへの帰属が求められるようになる。望むと望まざるに関わらず。

自治会、子供会、保護者会、PTA。習い事も「月謝払って預けたら終わり」みたいなことでもなく細々したことは保護者に分担される。多分知らないだけで昔からそうだったんだろうな。

ボランティアで参加してるイベント運営は「ボランティア」と思って参加してるけど、そうじゃないコミュニティの運営は必然的にボランティアであり無償。「子供のために」という大義名分があるけれど、これはなかなかに重たい。実際に参加してるのは奥さんなんだけど、会議で家を空けたりその分僕も早く帰れるときは仕事片付けて帰ったりもする。家庭の中のことはバランス取ってなんとかする。


コミュニティに参加すると、当然いろんな予定が埋まってくるようになるので予定の立て方も今まで通りには行かなくなって来て、これはまあどう捉えるかの違いだろうなとは思う。気の合う友人がそこでできればまた違うんだろうけどな。寄り合い、通院、学校行事。土日まるまる予定が開くことも減ったし友達と予定合わせるのも難しくなって付き合いの中心がローカルなコミュニティに移っていく。


子供もいろいろだけど保護者の方もいろいろで、寄り合いにこない人や連絡がつかない人、文句だけ言う人なんてのもやっぱりいるわけで、そういうのって扱いづらいなあと思うのです。子供には罪はなくて除外するわけにも行かないだろうし、もちろん「仕事行くのに子供預けてるだけの学童で、仕事終わってから子供待たせてミーティングとかマジキチ」なんて気持ちもよくわかる。

この、「誰も本当はやりたくないのにやらなきゃいけない」感じって何だろうなとふつふつと最近思うのです。お金で解決する問題でもないし、無償の善意で運営されて疲弊してるコミュニティって多分いっぱいあるんだろうな。地縁血縁、相互監視みたいなものも含めて。ポジティブに捉えられれば良いんだろうけどなかなかそうも行かないなあ。同じ保護者同士でも負担が違うと、「やってもらって当たり前」の人と「何でやらなあかんのよ」の温度感が出てくるし、自治会になると世代格差はもっと大きくなる。働き盛り世代が上の世代を支えるという国の縮図そのものだ。自治会について疑問に思う事はかなりある。


奥さんのLINEの通知はここ最近で一気に増えて誰かの投稿に対して「わかりました!」みたいなリアクションをグループがやるからどんどん通知が届く。これが21世紀の最新のコミュニケーションなのかと思うとうんざりもするなあ。そこから先はデジタルディバイドだとかITリテラシーだとかみたいな話にもなってくるし、多分僕らのアラフォー世代は「パソコンの授業」が出てきた端境期だから「ベル→ピッチ→ケータイ→スマホ」と最新の端末を使い続けてもパソコン使えないなんて人はザラにいるだろう。ブラインドタッチ、エクセル、クラウドサービス、なんてのも言わずもがな。mixiFacebookも使ってたけどGoogleスプレッドシートはわからないってことになるよね。もっと下の世代はパソコンも英語も使いこなせるようになってるけど、子育ての中心世代は多分既に時代遅れなんだろうな。


今の主婦や働くお母さんたちも多分色んな格差があるんだろうなと言うのは何となく感じる。「お母さん」という役割は一般的にかなりマネジメントスキルもコーチングスキルも高いと思うんだけど、同じ地域に住んで同じように子育てしてても来歴は様々だし本人のコミュ力とは別に、経験値の違いって大きいんだろうな。

子供ははっきりと「乳児」「幼児」みたいな親の加護のもとで学習して行く段階から、自分で考え行動してその結果を喜びとする段階に入って来ていて、一方の親世代ははっきりと「老化」の入口に立っている。忘れっぽくなり体調は優れず、新しいものを拒絶して自分のやり方に固執するようになる。多分何世代も繰り広げられてきた世代間闘争の入口なんだろうなと大きめに考えたりもする。サチモスやTWICEじゃなくてスピッツや安室ちゃんが好きなんだよ、仕方ない(スピッツのライブ行きたい)。


そうした頭の固いおっさんおばはんが集まって、シンギュラリティの時代を生き抜く子供達を育てて行くんだもんな。色んなコストを考慮して私立に行かせる人が増えてるのも納得がいく。


子育ては年齢ごとにフェーズがまるまる変わって、悩みの質も全然違うものになる。でも共通してるのは、夫婦で協力して話し合って問題解決に立ち向かうということでそれは強い財産になるし、最初は加護の対象だった子供たちが自覚を持ってパーティに参加するようになり助けてくれるようになる。子供に頼るようになると子供たち自身が変わっていくことも目にすることができて心強い。1番小さい家族というコミュニティでもそこそこ大変なんだけど、大きくなってもやる事は同じはずなのに共有している体験や思考が少ない分擦り合わせが難しいんだろうな。

子育てはRPGみたいだ。パーティは変わりながら進んで行く。新しい呪文は簡単には身につかないので、この環境が変わり始めて順応する過程は、命からがらたどり着いたリムルダールでのレベル上げみたいなもんだな。前向きに進もう。